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話のネタに!面白い語源を厳選「あいさつ&食べること編」

語源

普段何気なく使っている言葉の数々。実はそれぞれに奥深いルーツがある。調べてみると思わず「ほほう」「ふむふむ」を連発してしまう面白い語源も数多い。

多すぎて一度には紹介しきれないので、今回はあいさつにまつわる言葉、食べることにまつわる言葉の2分野に特化して、厳選したおもしろ語源をご紹介しよう。

おもしろ語源「あいさつ編」

ありがとう

まずは基本から。「ありがとう」、一日に何回言っているだろうか。
もともとは「有り難し」、仏の慈悲など、滅多にない貴重なことを言った。命が救われるような奇跡に遭遇した時、目には見えない神や仏に対して感謝する。そんな切実な想いがこもっていたのかなと思う。昔の人に想いを馳せると、「ありがとう」を言うとき少し神聖な気持ちになる。

謝る、詫びる

現代ではどちらも同じ意味に使われている、お詫びの気持ちを伝える動詞だが、実はそれぞれルーツが異なる。「謝る」はもともと「誤る」という言葉から来ているのだそうだ。自分の非を認めるところからの意味の転用で、「まちがえちゃってごめんなさい」ということだろう。

対して「侘びる」のほうは、「わびしい」などのわび。自分の窮状を訴えるところからの意味の転用で、「こんなに私辛いの、だから許して」ということになる。

政治家は「お詫び申し上げます」とは言うけれど「謝ります」とは言わない。自分の非は認めていないということなのかなと、つい勘ぐってしまう。

指切りげんまん

これは有名な話なのでご存知の方も多いかと思うが、「指切り」はもともと永遠の愛の証として、遊女が小指を切断し客に渡したことに発する。「げんまん」は「拳万」と書き、約束をやぶったら握りこぶしで1万回打つ制裁をあらわしているのだという。そのあとに「針千本飲〜ます」と続いたら、これはもうホラーでしかない。何しろ裁縫針を1000本ですからね。ブルブル・・・。
恐ろしいので筆者は子供と指切りげんまんはしない。

話のネタに!面白い語源を厳選「あいさつ&食べること編」、後半は

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おもしろ語源「食べること編」

いただきます

今でも冠を頭に載せることを「冠をいただく」と言うように、「いただく」とは、もともと「頭に載せる」という意味だった。身分の高い人から褒美などをもらうとき、頭の上に捧げ持ったことから、もらうことを「いただく」と言うようになり、さらに飲食することも指すようになった。食べることは命をつなぐこと。それができることへの感謝の念が表れた、よい言葉だと思う。

ポン酢

ポン酢の語源はオランダ語だというのはご存知だろうか?5種類のものを混ぜ合わせたという意味のオランダ語、ポンス(pons)に由来する。ブランデーやラム酒、レモン汁や砂糖などを加えた飲み物のことで、転じて柑橘系の絞り汁のことを言うようになったらしい。
和食の代表のような調味料だというのに、名前のルーツがオランダ語というのは面白い。

ラムネ

喉にシュワッと刺激が心地よいラムネ。実は英語のレモネード(Lemonade)がなまったものが語源なのだという。レモネード、レモネ、ラムネ…たしかに。知ってました??

話は変わるが、筆者の息子はどうやら幼稚園で英語を習うこともあるらしい。
バナナは?と聞くと、得意げに「バ、ナーナ!」(最初のナにアクセントをおいて)
トマトは?と聞くと、また得意げに「ト、マート!」(マにアクセントをおいて)
ではリンゴは?と聞くと自信満々に「り、んーご!!」(ん、にアクセント)
やれやれ、息子は天才かも、と一瞬思った自分が馬鹿だった。

すき焼き

「すき焼き」といえば滅多にお目にかかれないごちそう、というイメージ。
しかしもともとは鍋の代わりに農具の鋤(すき)を火にかけて、そのうえで魚やお豆腐を焼いたお百姓さんの簡単なお昼ご飯だった。くわ焼きという料理もあるが、これは鍋の代わりに農具のくわで焼いたから。どちらもお醤油とお砂糖をきかせた甘塩っぱい懐かしい味だ。申し分なくご飯に合うし、汗をかいて疲れた時でも食欲が湧いてくる。発祥を聞けば納得である。

ごちそう

「すき焼き」が出てきたところで「ごちそう」についても解説を。漢字では「ご馳走」と書き、馬を駆って走らせ、準備のためにあちこちかけまわることを言う。食事に限定するようになったのは室町時代ごろからだとか。

食事を終えたら何気なく口にする「ごちそうさま」というひと言。でもこの食卓を整えるために、材料を求めて走りまわり、洗って切って煮炊きしてくれた、その様子を思い浮かべたら、同じ「ご馳走さま」でもきっと重みが増すのではないだろうか。

時代を映して変わりゆく日本語

言葉のルーツを見ていると、よりよい表現を模索して知恵を絞ってきた先人達の苦労を思わずにはいられない。ぴたりとハマった表現は世間に広まり、立派な日本語として市民権を得る。その積み重ねの上に今の日本語がある。

先日、2015年度の文化庁の調査で、「ら」抜き言葉が多数派になったという報道があった。
また、10代の半数が「OK」を「おk」、「UP」を「うp」と表現するのだという。
息子が大人になる頃には、一体どんな日本語が市民権を得ているのだろうか。それでも「こんな崩れた日本語はダメ!」と凝り固まらず、面白がる余裕も持っていたいものだと思う。

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