コラム(WEB制作のポイント)

WEB制作のポイント 2015年1月15日

国宝、鳥獣戯画に学ぶ、人の心を惹きつけるWEBコンテンツ作り

鳥獣戯画

2014年秋に京都で公開された「国宝 鳥獣戯画と高山寺展」は、来場者が20万人を超えるほどの大盛況。ピーク時は展示室にたどり着くまで最長5時間待ちにもなった。集客することが使命のひとつともいえるWEBサイト運営者には、まったくうらやましい話である。

国宝であり、日本美術史上最高のエンターテイメントと評される「鳥獣人物戯画」。多くの人を魅了し、何時間も行列ができるほどの情熱をかき立てる理由を解き明かし、集客できるWEBコンテンツのヒントにするという企画だ。

まっ当な美術的評価は専門家の方々にお任せするとして、強引にWEBコンテンツ制作の目線に落とし込んでみた。

筆者が見つけた集客につながる魅力は、以下の3つ。とくに『「想像させる」余白』は、ともすればストレートすぎて、面白みに欠けてしまいがちになるWEB表現を少し俯瞰して見ると参考にしてもらえるのではないかと思う。

観る人に「想像させる」余白をもつ

観る鳥獣戯画の極意:人に「想像させる」余白をもつ

標的に見立てた大きな蓮の葉っぱ。弓矢に興じている蛙と兎。その後ろには、楽しそうに見物する蛙たち。


「うさぎはん、腰が入ってへんのとちゃいまっか?」
「うるさいわ。ちょっとだまっとれ!」

そうだ、彼らには間違いなく関西弁が似合う。
今にも喋り出しそうな動物たちの表情には、描かれていない前後の場面まで想像させてしまう力がみなぎっている。

鳥獣戯画にかかわらず、古来から日本の伝統芸術にはそういった「想像をかき立てる余白」が用意されていることをご存知だろうか。あのスティーブ・ジョブズも通ったという竜安寺の石庭もしかり。
人は与えられた情報だけを理解するだけになるより、それについて空想したり、もっと核心を追究しようとすることで、さらに興味がかきたてられ、愛着さえ感じ始める。

WEBコンテンツにおいても、空想させる余白はちょっとしたスパイスになる。
日本語として厳格には間違っていても、感覚的に伝わるキャッチコピー、文章でこと細かく述べられていないものの、ひとめ見ただけでデータが示している意味が把握できるインフォメーショングラフィックス、フッターにこっそり出てくる謎のキャラクター・・・。

瞬間的、感覚的に理解できたような印象を持たせ、なおかつ興味深く感じることが共通のポイントだ。ページの中が謎だらけではやり過ぎだが、遊び心をもって表現を試みると、訪問者にあなたのセンスを感じてもらえるかもしれない。

日本人好みの「擬人化」

鳥獣戯画の極意:日本人好みの「擬人化」

鳥獣戯画でもっとも惹きつけられる部分。それは、兎や蛙やさまざまな動物たちが、人間のように振る舞っている姿である。お祭りの行列、宴会の準備、相撲とり、おしゃべりや追いかけっこ。いつも人間たちがやっていることを、動物たちが滑稽な表情でやっているから、よけいに人間っぽさがにじみ出てくる。鳥獣人物戯画は、誰が何のために描いたものか明らかでないが、あえて動物たちに演じさせることで人間社会のおもしろおかしい部分に光を当てたかったのではないか、という気がしてくる。

それにしても、擬人化は、日本人が古来から好むパターンである。
この擬人化という手法が日本で広く受け入れられたのは、宗教的な背景がある。キリスト教では神様は唯一無二の存在であるが、日本には「八百万の神」という思想がある。それは山、海、木々など、この世に存在するすべての物には魂が宿るというもの。だから、動物たちにも心の動きがあるという発想は、日本人の肌感覚に非常にしっくりくるのだ。

黄桜
京都に「黄桜」という酒造メーカーがある。
1955年から黄桜は、「かっぱ」をキャラクターにした宣伝活動を一貫して行っている。仲の良いかっぱの家族がいて、そこには美味しい酒「黄桜」があるというテーマだ。同社のサイトでギャラリーを観ていると、まさに現代の鳥獣戯画だと感じられる。
1970年代まで黄桜はこのかっぱ家族を起用したTVCMだけを放映していたので、ある程度40代くらいまでの方は、かっぱ=黄桜というイメージが定着しているかもしれない。それだけこのかっぱ家族がユーモラスに愛着のある家族像を投影していたということだ。

いまも私たちの周囲を見回せば、擬人化の手法はたくさんある。ピカチュウ、ドラえもん、キティちゃん、ゆるキャラブーム。彼らは、キャラクターを通じて人がどう考え、どう行動すべきなのかを真摯に語ってくれている。見る人との距離をぐっと近づけてくれるこの手法は、まだまださまざまな可能性を秘めている。

固定観念を打ち破る、自由な発想

鳥獣戯画の極意:日本人好みの「擬人化」

鳥獣戯画のひとつひとつのシーンをよく観ると、その自由な発想に惹きつけられる。
なぜ、兎と相撲とりをする相手は、蛙なのか?
普通の発想なら、身体のサイズが同じような生き物を持ってきそうだ。
しかも、蛙の方が兎を投げ飛ばしていて、口から何か筋のようなものを吐き出している。
「してやったり!」という気迫を表現したのだろうか。

別のシーンでは、蛙はお釈迦さまの代わりとなって蓮の上におさまり、その前では袈裟をまとった猿が真面目な顔でお経を唱えている。
もし、これが逆の立場であれば、ここまでおもしろくならないであろう。
鳥獣戯画の作者たちは、いったいどんなことを考えながらこの大作を描き上げたのだろうか。きっと、その顔はニヤニヤしていたに違いない。

固定観念に縛られず、疑問を投げかけてみることは、どんな状況においても重要である。
WEBコンテンツ作りにおいては、常に閲覧者の視点に立つことを求められるが、本当に柔軟な視点の切り替えができているか?ついつい「こうあるべき」と偏った考えに縛られていないだろうか?ときにブレイクスルーを起こすためには、常識外まで振り切ってみることも有益だ。
煮詰まったときは、鳥獣戯画の動物たちを眺め、しばらくその前後に潜んでいるストーリーに思いを馳せてみるのはどうだろう。

まとめ

平安の世から平成の今まで。日本人にずっと愛されてきた、国宝、鳥獣人物戯画。
それは、時代が移り変わっても、観る人の心の中にすっと滑り込み、おもしろ可笑しい気分にさせてくれる。人は、どんなに価値観が変化しても、根っこのところでは楽しさや心の豊かさを追い求める動物だ。その不変的な特徴を上手く利用することで、商品・サービスにより興味を持たせたり、グッと引き込んだり、瞬間的に「いいね!」を勝ち取ることができるのではないだろうか。

たとえば、1枚の風景写真のなかにさえ、心が豊かになるようなエッセンスを盛り込むことはできる。それができるかどうかは、撮る人の心のなかにちょっとした余白が蓄えられているかどうかで決まるのだ。

平安の世から平成の今まで。日本人にずっと愛されてきた、国宝、鳥獣人物戯画。
それは、時代が移り変わっても、観る人の心の中にすっと滑り込み、おもしろ可笑しい気分にさせてくれる。人は、どんなに価値観が変化したって、楽しいことや心が豊かになることが好きな動物なのである。

たとえば、1枚の風景写真のなかにさえ、心が豊かになるようなエッセンスを盛り込むことはできる。
それができるかどうかは、撮る人の心のなかにちょっとした余白が蓄えられているかどうかで決まるのだ。

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植松 あおい

株式会社フレイバーズ専務取締役。セールスライティング担当。フラダンスに命かけてます。

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執筆:植松 あおい

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